(2024年 馬場状態 11/17まで) [良]18 [稍重→良]1 [良→稍重]1 [良→稍重→重]1 [稍重]19 [稍重→重]1 [重]19 [不良→重]1 [重→不良]2 [不良]33
在籍馬異動

在籍馬異動(2014/2/16~2014/2/19)

 NARデータベースより、2頭の退厩が確認できました。2007年はじめからずっと高知で走り続け、重賞勝ちを飾っただけでなく、2008夏~2010秋、2012夏~2013秋の2度に渡って長期のA級格を維持し続けた12歳の「古豪」ロマンタッチが今回退厩と発表されています。

(退厩)バルツィーニ(牝3 打越勇児厩舎) 最終番組賞金 5,000(3歳)
高知成績 11戦0勝(通算 12戦0勝(うち中央1戦0勝)) 中央~高知
 2013年9月に中央から転入。2013年の2歳世代では早い時期での転入馬でした。高知転入後も目立った活躍は出来ず、2013年11月23日の2歳-2の5着(7頭立て)が唯一の入着でした。2014年2月16日の3歳-3での9着が最終出走となりました。

(退厩)ロマンタッチ(牡12 打越勇児厩舎) 最終番組賞金 1,596,000(B)
高知成績 190戦26勝(通算 218戦26勝) 浦和~北海道~高知
☆「第5回トレノ賞」(2008)優勝馬
 デビューは南関東。2004年10月13日の浦和JRA認定2歳新馬イ800m戦で、この時は2着でした。2006年3月まで南関東で走り、17戦し2着は2回あるも未勝利で北海道へ。門別~旭川~札幌と転戦するも、北海道在籍時はラストで2着は取るもののほとんどが2ケタ着順で精彩を欠いていました。
 5歳となった2007年1月より高知での出走を開始。当時の格付けはA~Eの時代でC級で走るも入着前後。4月にD級に降級することとなりますが、ここから調子を上げていきます。着外がなくなり2007年6月10日のD7で40戦目にしてついに初勝利。2007年3月24日から翌年2月24日まで23戦連続で入着、3着を外したのは3回だけと抜群の安定感を見せるようになります。2008年4月にB級に上がると、選抜戦での出走が続きますが、掲示板を外すことはなく7月19日の「第6回トレノ賞」で重賞に初挑戦。5番人気と人気は必ずしも高くなかったものの、先行勢を差し切り、初挑戦で初重賞勝ち。当時デビュー3年目だった別府真衣騎手に初重賞勝ちをプレゼントすることとなりました。この年はその後も「第31回建依別賞」「第20回珊瑚冠賞」そして「第39回高知県知事賞」と3つの重賞で2着。「建依別賞」「珊瑚冠賞」ではいずれも人気薄をくつがえす好成績。また、レース結果全体も波乱で三連単がいずれも10万馬券という高配当を演出した1頭となりました。この2008年が成績面では1つのピークを迎えていたともいえます。
 2008年夏からA級格付けとなり、勝利こそ2008年12月14日の「ターコイズ特別」(A選抜馬)以降、2010年5月22日の「YU競馬ツアー特別」(A-2)までしばらく遠ざかることとなりますが、重賞出走でも入着するなど、A級馬として2010年9月まで走った後、10月からはB級。さらに2011年4月にはC1級に降級します。なお、2011年3月に管理していた打越初男調教師が逝去したことにより、打越厩舎から細川忠義厩舎へ移籍しています。
 しかし。9歳となっていたここでも実力は衰えておらず、C1は2勝を含め5戦で突破し6月にはB級復帰。ここから入着賞金を地道に貯めていくほか、2012年3月20日には数少ない中央交流の「はりまや盃」(B級以下)で5着するなど、目立つ活躍をみせました。4月に打越勇児厩舎開業に伴い「打越厩舎」に復帰。5月19日の「四万十の花菖蒲特別」(B-1選抜)で、前年の黒潮菊花賞馬リワードレブロンを破って選抜戦を勝利し、ついにA級に復帰します。この時は2013年9月まで在級し、3勝を挙げました。
 2013年10月のB級降級後も選抜戦でも入着があり、また2014年に12歳となってからも入着前後の成績で、最終出走となった2月1日の「釜あげちりめん丼特別」(B-2)でも4着。何があったかは知る由もないですが、高齢とはいえここで退厩というのはちょっと不意を突かれた思いでした。
 近年は話題に上がるたびに「古豪」の冠がついていたロマンタッチ。遠征に出ることはありませんでしたが、地元で走る上位馬の一頭として長年活躍したことはファンの記憶に残ることでしょう。長い間お疲れ様でした。

(2014/2/19時点 高知競馬在籍馬 438頭)

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