(2024年 馬場状態 4/29まで) [良]8 [良→稍重]1 [稍重]6 [重]13 [不良→重]1 [重→不良]1 [不良]16

高知競馬場の誘導馬

(初回投稿 2015.5.10)
更新 チャオの画像、「触れ合いタイム」の詳細追加

競馬場のマスコット的であり、時には顔ともなる存在である誘導馬。地方競馬では経費削減等運営上の都合もあってか誘導馬を置かない競馬場もありますが、高知競馬場ではA級で2021年2月まで活躍したチャオ号が2021年9月から誘導馬に転身。その後先輩誘導馬が相次いで誘導から卒業したことで、現在は唯一の誘導馬となっています。

高知競馬場の誘導馬はパドックには入らず、本馬場のところから先導する形となっています。

なお、冬季の平日ナイター開催では誘導馬はお休みすることがあります。

チャオ号

(2022.4.16撮影)
現役時代(2019.12.31「第50回高知県知事賞」パドックにて)

チャオ(セン・2011年4月27日生まれ)
父クロフネ
母ツルマルハロー(母父アグネスデジタル)
JRA 26戦3勝 高知 52戦6勝
総獲得賞金 36,855,000円(うち地方 14,335,000円)
JRA(1000万下)~高知(A)

2017年6月にJRA1000万下格から高知A級へ転入したチャオ号。芦毛の馬体から繰り出す威力ある末脚で転入3戦目には早々にA-1選抜を勝利、2017年、2018年の「高知県知事賞」連続2着をはじめ、重賞にも多数出走するなど長く活躍。また、パドックで見せる愛くるしい姿がSNS上に上げられることも多く、高知A級の人気馬として活躍していました。

2021年2月いっぱいで競走馬から引退することになった際、高知に残って誘導馬になれないかとの話がオーナーサイドからあがり、誘導馬としての適性があると認められたことから、訓練を経て2021年9月11日の開催(新型コロナウイルス感染症対策で当時無観客)で、先輩誘導馬ジョーリュウオー号のエスコートを受けながら誘導馬としての初仕事を行いました。翌月に有観客開催に戻ってほどなく、チャオ号単独で1日全レース誘導を務めあげるようになりましたが、まだ「初心者マーク」がお腹には付いたままでした。

2022年4月、唯一の誘導馬となった段階でもうマークは取れており、現在は1人前の誘導馬として本馬場に現れています。

初登場日の中継映像に映った際のツイートより。最初は帽子で耳を覆っていました
誘導馬に転身してしばらくした頃(まだ初心者マーク付き)(2021.12.31「第52回高知県知事賞」本馬場入場にて)

チャオ号の特徴?は歩いてる時にペロッと舌をだすところ。現役時代からパドックを周回しているときに舌をペロっと出したり引っ込めたりしているのは知られていたのですが、誘導馬になってからもその癖はそのまま。本馬場に現れた時には間近に見られればラッキー…というほどレアではなく、結構ペロペロしながら歩いています。

(2021.12.31撮影)

誘導中に付けているチャオのメンコには複数種類あり、名前が付いた少しおちゃめなものもあります。

「ちゃお」(2022.7.18撮影)
このメンコには片側にだけハイビスカスのワンポイント(2022.7.18撮影)
「チャオ いらっしゃいませ」(2022.12.28撮影)

誘導馬待機馬房

誘導馬はパドックから本馬場への通路の途中に設置されている誘導馬の待機馬房で出番まで待機しており、先出しの馬が通った後に出発します。パドックからも見える位置にあるため、休憩中の姿を遠目に見ることもできます。
この待機馬房は高知県産のヒノキとスギを使用して建て替えられもので2021年の11月の開催から使用されています。

触れ合いタイム

JRAでは誘導馬が開門直後にパドックにやってきてファンと接する機会が設けられていますが、高知競馬場でも「触れ合いタイム」と称してその日先導を担当している誘導馬とパドックで触れ合うことができます。

高知ではレースの合間をぬって時間が取られており、2013年6月の告知当初は第6競走本馬場入場後でスタート。その後9月に日没時間の関係という理由で第3競走本馬場入場後に変更され、数年間は日没時間に関係なく第3競走本馬場入場後で固定されていましたが、2018年の途中から第2競走本馬場入場後に。その後、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う無観客開催が行われたこともあり、2020年3月から2022年11月までは「ふれあいタイム」は休止されていましたが、2022年12月から第1競走本馬場入場後と時間を変えて再開となっています。

「ふれあいタイム」実施の際、チャオは1Rの誘導が終わって一旦待機馬房に戻った後、パドックの出場通路寄りの一角に登場します。

(2022.12.31撮影)

チャオとの間には元々柵があるため、少し離れた位置で触れ合います。
チャオの到着に合わせて、パドック側に組合の方が触れ合い用のにんじんスティック等を用意して待機しています。ファンはそれを受け取って直接チャオに食べさせてあげたり、写真撮影や顔を撫でてあげることもできます。

(2023.1.1撮影)

差し出したニンジンを見つけるやいなや、チャオは首をグイッと伸ばして食べてくれます。

(2022.12.28撮影)

日によってはたくさんのファンに囲まれることもありますが、黙々とチャオはにんじんを食べます。

(2022.12.29撮影)

時間は状況により異なりますが、第1競走の誘導を終えてから投票券発売締め切りまでのおおむね10分弱程度です。天候や誘導馬の体調によって実施の中止や短縮がありますのでご注意ください。

なお「触れ合いタイム」の様子は、2023年1月途中からパドックを撮影するカメラを利用して、レース中継でも一部分が放映されるようになっています。

メモリアル:エイシンメンフィス号

エイシンメンフィス(セン・1992年3月4日~2022年5月24日)
父Dixieland Band
母Princess Royale(母父Bletchingly)
JRA 25戦4勝 東海 4戦0勝
総獲得賞金 70,582,000円
(うち中央付加賞金872,000円、地方930,000円)
JRA(オープン~1500万下/1600万下)~笠松(A)

エイシンメンフィス号は1994年にJRAデビューし新馬勝ち。このときは芝も、残る3勝はダートの短距離であげている、元JRAオープン格だった芦毛馬。地方移籍後は笠松に在籍し、重賞や準重賞に出走したものの勝ち星はなく1999年に引退しました。現役時代高知に縁はなく、高知で誘導馬になったのは引退してかなり時間がたった2008年のことでした。(ネット上で検索すると2004年ごろは「シルバーフォンテン」(~2008年)と「マキシムダンディー」(~2005年)の2頭体制だったよう)。高知競馬公式サイトに載っていた愛称は「メンちゃん」。なお、2012~2013年に中央で活躍した牝馬は「エーシンメンフィス」なので注意。

(本馬場入場前でタイミングを待っているエイシンメンフィス)
(出走馬のパドック周回中は通路そばの馬房(画像は建て替え前のもの)で待機)

馬の気性などもあってか、誘導馬の入場前に先に本馬場入りを済ませてしまう馬はふつうにいますが、高知はそういう馬が結構多く、入場曲がかかる前に既に半数以上が早々に馬場を順回りしていたり、待機所へ行ってしまうことも。結局誘導馬についてくるのは2~3頭というケースも結構あり、鞍乗の方が途中で止めて、ちゃんとこちらに向かってくる馬がいるのか確認していることもしばしば…ですが、エイシンメンフィス号は黙々とうつむきつつ馬場をしずしずと歩き、誘導馬の役割をこなしていました。

(重賞の時には鞍乗の方の衣装やゼッケン代わりの馬布の色が替わります)

真っ白い姿の誘導馬に見とれるのはどこの競馬場でもみられる光景ですが、大人子供関係なくそんなファンの姿を見かけると、外ラチ側までエイシンメンフィス号がやってきてくれて、間近で見ることができたり、カメラをかまえている人が見つけたら一旦停止してミニ撮影会っぽくしてくれたりとファンサービス精神もとても旺盛でした。

いつもはゆっっくりしずしずと歩いているエイシンメンフィス号ですが、ときどきこんな感じで駆け足で帰っていったことも(写真では伝わらない…)。誘導の時よりも気合の乗った顔になっているような。終盤戦になると出くわすケースが多かったのですが、鞍乗の方に後述の「ふれあいタイム」でお聞きしたところ、ナイターの時などは抑えて歩かせようとすると時に反発してやんちゃすることがあるため、そういう場合は馬の行く気にある程度まかせて駆け足で帰る方がスムーズだったんだそうです。

ふれあいタイムでのエイシンメンフィス号。2015年5月5日の開催時。

先導時と変わらぬいつもの雰囲気でエイシンメンフィス号がしずしずと登場。この日は連休中とあって家族連れの来場も多く、パドック周辺は20~30人ほどが待っていました。

ニンジン(あらかじめ用意されています)を食べさせてあげられることも。勢い良くパクつき食欲旺盛。係の方もついているので、顔に触ってみたり記念撮影することも自由に行えました。

エイシンメンフィス

老若男女に囲まれふれあいのひとときを過ごしていました。

長年に渡って高知競馬場の顔の1頭として活躍してきたことで歳も重ね、2014年にはそもそも暑い高知のうえに、猛暑もあってか体調を崩したとのことで誘導や「ふれあいタイム」が一時取り止めになっていたこともありました。また、2017年も体調不良とのことで夏前から誘導への登場を取り止め。ただ、この時はエイシンメンフィス号の体調自体は早い段階ですでに良くなっていたものの、大事をとっての休養であるとのことで、その後10月8日の開催から誘導を再開。高齢になってきたこともあって、体調を見ながら誘導していくようになり、夏季や新型コロナウイルス感染拡大期には誘導業務を休止したり、2021年頃からは前半だけ誘導して残りはお休みというケースが多くなりました。

2022年3月25日、高知けいば公式サイトから「エイシンメンフィス号の誘導馬引退について」とのリリース(→こちら)が出されエイシンメンフィス号は2022年3月27日をもって誘導馬を引退するとの発表がされ、当日の第1競走からメインレースであった第5競走「第10回御厨人窟賞」の誘導を務めあげ、14年間にわたる誘導馬の仕事を引退しました。

なお、このリリースには、

今後は、第1競走の始まる前にパドックで、ウエルカムホースとして皆さまをお迎えする予定となっております。

高知けいば公式サイト(http://www.keiba.or.jp/?p=67689)より

とあり、競走開始前にパドックに登場して来場者のお出迎えをするという役割で引き続き高知競馬場に登場すると告知。同年4月の最初の開催からは毎週日曜日の第1競走出走馬のパドック入り前にパドックに登場するようになりました。

4月17日。2回目の登場時に訪問できました。

パドックをゆっくりと回るエイシンメンフィス号(2022.4.17撮影)

パドックをぐるっと回って、来場者が集まるゴール板寄りのところで止まってお出迎え。誘導馬時代同様にシャドーロールは付けていた一方、メンコは外してきりっとした素顔を見せていました。

新型コロナ禍前の「ふれあいタイム」とは違い、エイシンメンフィス号と会えるという行事になりましたが、パドックに登場すると写真を撮ったり、見に行こうとする人は変わらず多く、改めて存在感の大きさを感じる場面でもありました。

ニカッ(2022.4.17撮影)
お仕事が終わったエイシンメンフィス号は、これからお仕事を始めるチャオ号の隣で一休み。19歳離れてるとさすがに当時11歳のチャオ号は若く見える。(2022.4.17撮影)

しかし、ウエルカムホースとしてこれからも活躍が続くと思っていた矢先の2022年5月24日午前10時30分頃、肺出血のため息を引き取ったと当日高知けいば公式サイトが発表。享年30歳でした。直前の5月22日のお出迎えでも特に変わりなく登場し、5月31日(火)に開催される「第13回福永洋一記念」の日にも特別に登場すると予告されていたことから特に予兆はなかったものと思われ、同年2月に亡くなったジョーリュウオー号同様に急なことであったと思われます。

経営的にも一番ドン底だった時期にやってきて、やがてナイターが始まり、徐々に明るさが戻って来た14年の間、高知けいばを見守ってくれていたことに感謝を込めて。

ありがとう、エイシンメンフィス号。メンちゃん。

メモリアル:ジョーリュウオー号

ジョーリュウオー(セン・1997年4月14日~2022年2月25日)
父グルームダンサー
母ジョーユーチャリス(母父トウショウボーイ)
JRA 16戦3勝
総獲得賞金 44,267,000円(うち中央付加賞金767,000円)
JRA(1000万下~500万下~1000万下)

長くエイシンメンフィス号1頭体制だった高知競馬場に、2頭目の誘導馬として登場したジョーリュウオー号はJRA一筋で16戦3勝の実績。デビュー戦の4歳未勝利戦を逃げ切るなど、先行逃げ切りを身上とする競馬で7歳まで走り、その後は京都競馬場の誘導馬としてながらく過ごしたのち、2016年春に高知に移り、6月19日の開催から高知競馬場の誘導馬として登場しました。

偶然ですが京都競馬場の誘導馬時代に写真を撮っていました。2013年11月23日、開門直後に行われている誘導馬のふれあいコーナーにて。

同じ日のパドックでの誘導風景。芦毛ですがそばかすのような黒白まだらな馬体がチャームポイント。

「ふれあいタイム」の際に誘導担当の方から伺ったところ、京都から高知へ移り環境が変わったことが影響してか、しばらくはなかなか高知競馬場の走路やパドックに慣れるのに時間がかかったそう。デビュー後も一時は再びエイシンメンフィス号に交替してもらったり、誘導の際に1人補助をつけている姿が見られましたが、数ヶ月がすぎると徐々に慣れてきたようで、エイシンメンフィス号と隔日交替で担当できるようになりました。

重賞での先導。(2016.7.24「第13回トレノ賞」本馬場入場にて)

ちなみに、2018年8月5日から2019年2月27日まで、ジョーリュウオー号の鞍上は2018年7月1日に高知けいばの騎手を引退した佐原(旧姓下村)瑠衣さんが務めていました。レース中継では本馬場入場の際にまず誘導馬の映像から映されますが、そのタイミングに合わせて佐原さんが手を振る姿もちょっとしたアクセントになっていました(佐原さんは出産、育児に伴い現在は騎乗をお休みしています)。

年末年始はちょっとした遊び心もプラスで

(2018.12.31撮影 「鏡餅」はこの1回だけ)
(2019.1.1撮影 前日も当日も基本は「猪」でした ジョーリュウオー号の獅子舞い装飾は元日だけ)


2016年7月24日のパドックでの「ふれあいタイム」にはその日の担当だったジョーリュウオー号がパドックへ。

ズーン…と静かな感じのジョーリュウオー号ですが、食欲は旺盛で、ニンジンのスティックを差し出すとエイシンメンフィス号よりもすばやくモシャモシャと食べてしまいました。元気そうです(笑)。ファンサービスの経験はJRA時代にずっと経験してきたこともあってか、おとなしいものでした。

2017年8月27日の「ふれあいタイム」。パドックを1周回ってからの登場。ジョーリュウオー号は2017年には夏前には一時体調不良で誘導をお休みしており、この時はエイシンメンフィス号もお休みだったため、誘導馬なしの寂しい状態となっていたのですが(本場で見てると意外に喪失感があるんです…)、エイシンメンフィス号より先に復帰。ただ当初は状態によっては途中で切り上げという時もあったものの、その後全レースまっとうできるようになりました。

夏場だったのでささやかながらスイカのワンポイントでオシャレに。食欲は相変わらず旺盛で、時間一杯までニンジンをモシャモシャ食べてました(笑)。

2020年の新型コロナウイルス流行に伴い、無観客開催が一時起こるなどして誘導馬が登場できない時期もあったりと曲折もありましたが、2021年秋のチャオ号のデビューにあたっては当初先導して一緒に歩いたりと先生役も務めていたジョーリュウオー号。

(2022.1.1撮影)
(2022.1.1撮影)

2022年の元日にはコロナ禍が続きイベントも出来ない中、恒例のお正月衣装をまとってささやかながら彩りを添えていました。同年1月からの平日を含めた週3回開催の際には主に中日の開催で誘導を務めていましたが、2月25日午前10時30分ごろ、急性心不全により息を引き取ったと高知けいばが発表。享年25歳。最後の誘導となった2月22日の開催も全レース誘導を務めあげており、突然のお別れでした。

ありがとう、誘導馬ジョーリュウオー号。

メモリアル:ブラゾンドゥリス号

現役最終戦となった「第19回トレノ賞」(2022.7.17)パドックでのブラゾンドゥリス号

ブラゾンドゥリス(セン・2012年6月2日~2022年11月6日)
父ノボジャック
母ブライアンズソノ(母父マヤノトップガン)
JRA 34戦7勝(うち地方2戦1勝) 北海道 9戦3勝
兵庫 4戦0勝 高知 8戦2勝
総獲得賞金 184,857,000円
(うち中央付加賞金1,622,000円、地方42,935,000円)
JRA(オープン)~北海道(A1)~兵庫(A1)~北海道(A1)~高知(A)
☆「第19回黒船賞(JpnIII)」(2017)、「第9回御厨人窟賞」(2021)優勝馬

2017年「第19回黒船賞(JpnIII)」、直線入口で6頭が固まる混戦を抜け出し高知で重賞初制覇を決めたブラゾンドゥリス号。その後北海道、兵庫を経て2020年12月に高知けいばへ転入しました。2021年1月に転入初戦のB級以下準重賞「初夢特別」を勝利すると、同年3月には「第9回御厨人窟賞」で重賞2勝目。黒船賞と高知の重賞の両方を勝ったのは、第1回優勝馬のリバーセキトバ以来2頭目の快挙でした。その後1年以上の長期休養を挟み2022年に3戦したものの同年7月の「第19回トレノ賞」を最後に現役続行を断念。その際、黒船賞優勝の実績馬であり誘導馬にできないかと本馬を管理していた雑賀正光調教師が主催者に打診したのを機に、誘導馬としての道を歩むことになりました。

引退から約1か月あまり、2022年9月3日の開催から先輩誘導馬チャオ号の後ろについて若葉マークを付けたブラゾンドゥリス号が登場し、見習い誘導馬として1日数レース程度の実地訓練が行われるようになります。9月11日からは単独でも誘導するようになり、見習いながらも順調に誘導をこなす姿が見られるようになり、開催の半分をチャオ号とブラゾンドゥリス号で分け合う形が定着しつつありました。

初登場日の中継映像に映った際のツイートより。

2022年10月30日の「第7回黒潮ジュニアチャンピオンシップ」でははじめて重賞の誘導を務めました。

誘導する姿も板につき、後は若葉マークが取れるだけ…と誰もが思っていたその矢先、2022年11月6日に故障を発症、予後不良と診断され息を引き取ったことが高知けいばより発表。享年10歳でした。JRAオープン馬が栄光を掴んだ地で第二の馬生を過ごすとあって注目されていただけに、各方面からも喪失感が伝わる悲しいお別れでした。

短い間でしたが、ありがとうブラゾンドゥリス号。

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