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高知けいばの薄暮開催「夕焼けいば」

概要

 現在高知けいばは昼間の時間で完結する開催は行われておらず、今や高知けいばの代名詞ともなった通年ナイター開催「夜さ恋ナイター」がほとんどを占めています。一方、最近は基本的に大晦日と正月の開催の時だけ「薄暮開催」として、「夜さ恋ナイター」よりも少し早い時間に終わる開催が行われています(とはいえ大晦日は終了時間が20時前なのでほとんどナイター開催と変わりませんが)。

 この薄暮開催、そもそもは「夜さ恋ナイター」のスタート前年である2008年にスタートしたもので、「夕焼(ゆうや)けいば」という愛称が付けられ、当時売上減少の流れが止まらなかった高知けいばの新機軸として導入されたものでした。現在でも、薄暮開催当日の中継放送や案内アナウンスに関しては「夜さ恋ナイター」ではなく、「夕焼けいば」の愛称が今も使われています。
 高知けいばの起死回生のきっかけとなった「夜さ恋ナイター」の前段階となった「夕焼けいば」。筆者は実体験をしていないため、ネット上に残る記録等からまとめてみたいと思います。

導入の経緯

 2008年頃の高知けいばは基本的に通年土日開催で11時頃に第1競走が始まり、最終競走は17時前というスケジュールでした。既にインターネット投票のサービスは「SPAT4」「オッズパーク」「楽天競馬」と地方競馬系のものは現状と同様のサービスが揃っており(ただし当時「SPAT4」で高知のレースを購入できるのは一部に限られていました)、開催地周辺の狭いエリアだけでの売上では限界が見えていた地方競馬にとって、インターネット市場の開拓で活路を見出すことも既に認識されていたようですが、土日開催に関しては最大で当時ばんえい帯広・岩手・金沢・福山・高知・佐賀の6場がひしめき、インターネット市場へ打って出ようとしても既にナイター開催に移行していたばんえい帯広を除いた5場が同じような時間帯にレースを行ううえ、圧倒的な規模と注目度の集まる中央競馬の開催もあるという競合状態となっていました。
 当時の高知けいばは他地区での場外発売がなければ日常の売り上げが1日3~4千万程度にまで落ち込む最ワースト期にあり、2008年の「黒船賞」は経費面の理由から開催中止となるなどいよいよ赤信号が灯りつつあった頃。当時はインターネット販売も黎明期かつ競合相手多数ということもあって売上規模は小さく、本場や数少ない場外発売での現金発売が大半を占めていた状況。もはや狭い商圏では伸びが見込めなかった状況だったと思われます。そこで取られたのが現在の「夜さ恋ナイター」と同様の「競合が少ない所で開催し、大きな市場であるインターネット投票での売上につなげる」という手法であり、まずはナイター設備がなくてもできそうな時間帯まで発走時刻を繰り下げる薄暮開催が導入されたものです。

「金曜レース 夕焼けいば」

 ネット上のアーカイブによると、「夕焼けいば」は2008年4月11日(金)のスタート。当初は4~6月に土曜開催の一部を金曜に替え、それを薄暮開催としてレースの開催時間を約1時間半程度繰下げる(最終競走は18時25分)というもので、「金曜レース 夕焼けいば」と題したPRをネット投票サイトやNARの公式サイト等、ネットメディアでも展開。当初は電話・ネット投票だけでなく、仕事帰りの現地、場外利用も期待されており、それもあっての週末金曜への開催振り替えだったようです。

「楽天競馬」ブログに残る「夕焼けいば」開始を伝える記事
(2008.4.11、告知ポスターあり)→こちら

 その後も「好評」とのことで、7月~8月も「夕焼けいば」は延長され、期間中の土曜(一部金曜)開催のすべてと日曜開催のうち1日でも「夕焼けいば」を続け、日没時間が早まり始める9月以降は元の昼間開催のみに戻ることとなりました。

 このように、現在の「夜さ恋ナイター」のような完全な移行とは違い、「夕焼けいば」はあくまで一部の開催を薄暮開催とする形であり、週2回の開催のうち日曜開催は原則従来の昼間開催のまま(「夕焼けいば」にしたのは「二十四万石賞」が行われた2008年4月20日と8月3日の開催のみ)で、ほかの1日を薄暮にするというものでした。

即効薬ではなかったが…

 結果的にはこの2008年度が売上の底となった年度(年度売得金38.8億円)。「夕焼けいば」で時間帯をずらせるのも全体から言えば年の3分の1の期間に過ぎず、単年度の結果としてはこれが直ちに売上回復の根本的な解決策とはなり得なかったということにはなります。

 しかし、現在も公式サイトに残っている開催日ごとの発売所別販売成績を見ると、土日開催だと当時は全体の2割いけばいい方だったネット販売の割合が、他場開催が減る時間帯が出てくる金曜の薄暮開催になると本場等の現金販売が落ち込む代わりに(仕事帰りの…という目論見は外れる形に。そもそも仕事帰りではできてせいぜい2レースがいいところでした)、昼間開催場の開催が終わり、競合が少なくなった時にネットがそれをカバーしたのか、結果的に全体の半分近くはネットで売れて日曜開催と同程度か少し少ない程度の売上げといった結果が出ることが多くの薄暮開催で見られていました。
 ネット販売がまだ黎明期、かつ不況の流れが続いていた中で直接の実入り自体は大きくなかったものの、「競合が少ないところで開催し、ネットで売上を確保する」という狙い自体には可能性が感じられた結果となり、これを踏まえた末の究極の選択が、競合の少ない時間帯・時期にもっと開催ができる通年ナイター開催という結論を導いたともいえるのではないでしょうか。

そして「夜さ恋ナイター」へ…

 2009年4月末に同年7月24日から高知競馬の通年ナイター開催を行うことが公式発表されましたが、ナイター開始までの間は引続き「夕焼けいば」が続けられており、そのときも日曜は昼開催、もう一日を「夕焼けいば」(最終競走を18時10分~30分に発走)とする形が継続されました。

 「夜さ恋ナイター」開始以降、当初は昼間開催や「夕焼けいば」が若干残っていたものの、すぐに大晦日、正月、そして中央交流の「全日本新人王争覇戦」と「黒船賞」の日だけが「夕焼けいば」になり(例外的に2011年には東日本大震災後の2週の開催については電力事情を考慮して「夜さ恋ナイター」を「夕焼けいば」に変更して開催するイレギュラーも)、2012年から「全日本新人王争覇戦」が、2013年には「黒船賞」の日も「夜さ恋ナイター」で行われるようになって、現在に至っています。

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